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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。
KG PEOPLE 005 中邨 秀雄氏  株式会社吉本興業 会長
  
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社会の"即戦力"になる学生を生み出す――
これからの大学には、
そんな教育が求められているはずだ



"お笑い"というカテゴリーを、単なる娯楽からエンターテイメントの域にまで広げた吉本興業。今回は漫才黄金時代に数々の人気番組をプロデュースしてきた、会長の中邨秀雄氏にご登場いただいた。企業のトップを長年勤めてきた中邨氏から、今の大学教育に求める要素とは?また、これからの時代を支える若い社会人へのエールも伺った。

【ラグビーに明け暮れた学生時代】
「負けず嫌い」で「ねばり強い」。これはひとつの事柄を成し遂げ、成就させるのに欠かせない要素といえる。関学時代、中邨氏にとってはラグビーにその情熱が注がれた。

中邨氏: 子どもの頃から柔道、登山、スキー、ラグビー……と、つねに自分の生活の なかにはスポーツがあった。まぁ、ヤンチャ坊主だったので、「何かに興味の対象を引きつけておかなければ何をしでかすかわからない」という父親の考えもあったので しょう。高校時代も受験シーズン目前の3年の秋まで、勉強の「べ」の字もありませんでした(笑)これは人並みのやり方では浪人生活が待っていると思い、10月から死にものぐるいで勉強をしました。とにかく、体だけは鍛えていましたから、4カ月間毎日、日本橋の自宅と中之島の府立図書館を往復。開館前に行き、昼時にカレーかうどんをかきこむ以外は、閉館まで机に向かうという日々でした。 受験校は、関学、同志社、早稲田の3校。合格したのは、関学のみ、でも本当は早稲田も合格していたと僕は思っています、東京へ行かせたくないという父が通知を捨ててしまっていたんですね(笑)

【"場外戦"からの脱出に人一倍の努力】

中邨氏: ともあれ、めでたく関学に入学。ここでも朝から晩までラグビー漬け。当時関学のラグビー部は関西最強で部員数は百人を越える大所帯、チームは1軍から4軍に分かれ ていました。4軍にも入れなかった私は、遊軍。ランニングやパスまでは、はみ出し組みも一緒に練習できるのですが、わくわくする試合形式の練習は交ぜてもらえない。グラウンドの外でボール磨きをしながら、「誰かケガしないかなぁ」と思っていたものです。

それでもラグビーをやめようとは思わなかった。例え"場外戦"でも、練習は決して手を抜かない。そうやって頑張っていると、嫌でも生来の負けん気が頭をもたげてくる。レギュラーになるには人の何倍も練習するしかない――そう思い早朝から近所で トレーニングをし、練習の始まる時間を見計らってから大学へ行ったものです。その 努力のかいがあって、3年生から1軍入り4年生にはスタンドオフが定位置になっ た。「何が何でもやってやる!」そう思い続けることとそれに向かって努力することが、成功の法則の一つだと学んだ気がします。

【死に物狂いで働いた吉本興業】
ビジネスの世界では、どんな企業でもヘッドハンティングがおこなわれている。それ
は、吉本興業とてもしかり。そんななかで、中邨氏は大学を卒業してから現在に至る
まで吉本一筋。トップに登り詰める成功の秘訣とは?

中邨氏: 入社したきっかけは単純なものでした。映画全盛期にあって吉本は日本でも有数の映画館チェーンだったため、タダで映画が見られると思ったからです(笑)大学出は僕一人。身分は「雑務係」。一日は掃除に始まって掃除に終わる、看板書きも やれば呼び込みまで何でもやらされました。土、日は書き入れ時だから休みなし。でも、大概は苦になりませんでしたね。

雑用係を経て9月1日付けで正社員となってからは、道具係兼脚本係兼演出係兼営業兼マネジャー……正確に思い出せないほどいろんなことをやった。付いたあだなは 「何でも屋」。笑いは大阪の誇る文化の一つであり、文化の振興と大衆娯楽の発展に尽くしたいと、本当に死に物狂いで働きました。 "死に物狂い"と言葉で言うのは易しいけれども、やはり仕事というのは死ぬ気でやらなければ、なんでも成功しませんね。今の人達は会社にしがみついている人が多い、サラリーマンなんですね。でもこれからはビジネスマンでなければ。必至に仕事をして自分なりに何かを習得して いれば、どこの会社に入ってもやっていけるもの。

仕事への取り組みはもちろん、吉本で学んだことがもう一つ。それは花菱アチャコのマネージャー時代のこと。「偉くなってもおごらずに人に頭を下げる」という姿勢で す。特に仕事を離れて、ゴルフやマージャンなどをすると、その人の本音というか本 質が見えてくるもの。どんなに責任有る立場の人間でも、キャディーさんなどに偉ぶる人は信用できないですね。

【社会の即戦力になる、そのために大学時代でするべきこと】
学歴という垣根が低くなり、今や企業採用は「どこを出たか」ではなく「何ができる
か」がその人を判断する基準になっている。中邨氏が学生に求めるスキルとは?

中邨氏: 僕はアメリカのエンターテイメントを吉本に取り入れるために、40代になってベルリッツへ2年間通いました。学生時代もっと勉強しておけばよかったと、悔やみましたけどね(笑)。60代ではパソコンも使えるようにしましたよ、今でも海外へ旅行に行くときには、パソコンを持っていってインターネットで日本のニュースを チェックしています。今の時代、パソコンを使えることと語学力は欠かせない条件でしょうね。それを学生時代に身につけておくことで、採用試験のスタートラインに立てるといっても大袈裟ではないでしょう。

僕らの時代、大学生活はラグビー一色でしたけどね(笑)ラグビー部の面々とは、今でも年に一回ゴルフをします。関学、同志社、早稲田、明治など8大学のラグビー部メンバー(昭和35年以前の卒業生のみ)が、各校5名ぐらいずつ集まるんです。仕事の話抜きで、心を許せるメンバーとの交流は今の私には本当に貴重です。

話は戻りますが、「大学時代にはいろんなことを経験して将来の夢を模索する時期」 などと言うのは一昔前。今、企業が求めているのは即戦力。「会社に入ってから覚え ればいい」という考えは甘いですね。そういったことをもっと大学で教えるべきだと思いますし、学生はもっと自分の能力を高めていく場として大学を活用すべきですね。大学教育が変われば、しいては日本の未来も変わっていくのではないでしょうか。

【PROFILE】
中邨 秀雄(なかむら ひでお)
1955年文学部卒業。吉本興業に入社し、白木みのるのカバン持ちや当時全盛の映画館の掃除、看板の掛け替えなどの仕事に従事。花菱アチャコのマネージャーを勤めた後、『ヤングおー!おー!』などの人気番組の製作を手掛ける。'77年取締役制作部長、'84年常務取締役、'86年代表取締役副社長、'91年代表取締役社長を経て、' 99年代表取締役会長に就任。著書は『元気と勇気とやる気がわき出る本』(小学館)など多数。
http://www.yoshimoto.co.jp/
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