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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。
KG PEOPLE
009 岩阪 恵子さん
作家
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一作一作に心をこめて
美しく豊かな日本語を生み出す
〜関学時代に出会った詩人との縁で、
作家の道を歩み始める〜



今までビジネス系の著名人を多く迎えてきた『KG PEOPLE』だが、今回は作家・岩阪恵子さんにご登場いただきました。'94年には故郷・大阪の市井の生活を描いた短編小説集『淀川に近い町から』で第44回芸術選奨文部大臣賞、第四回紫式部賞を受賞。岩阪さんが作家を目指すようになった足取りを、関学時代の思い出と合わせてたっぷりと伺った。

【本の虜になった少女時代】
新しく国語の教科書を渡されると、あっという間に読んでしまったほど子どもの頃から本が好きだった岩阪さん。小学6年生の時にはある夢と決意を抱いていた。

岩阪さん:小学校から高校までの12年間は大阪府寝屋川市の聖母女学院に通っていました。 カトリックの女子校だったため、学業はもちろんですが礼儀作法から生活指導まで、とにかく厳しい校風でした。積極的に友人と交流する性格ではなかったので子どもの頃から本を読んだり、ひとりで空想したりするのがすきでした。当然、一番好きな教科は国語。小学校1年生の頃から新しく国語の教科書を渡されると嬉しくて、あっという間に読み切ってしまいました(笑)。当時、子ども向けの学習雑誌に詩が載っていて、それを毎月楽しみにしていました。たぶんそれがきっかけで、なんとなく「自分も詩人になれたらいいなあ」と思いはじめました。

■本の思い出

岩阪さん:自分勝手にいろいろな本を手に取っていましたが、中学時代に読んでいたのは主に翻訳の詩集や小説でした。それが日本の文学作品へと変わったのが高校の時です。当時むさぼるように読み、酔いしれたのが中原中也でした。ほかに立原道造や萩原朔太郎などもいいなと思いましたが、詩と並行して小説を読むのも好きでしたね。

 無類の本好きではありましたが、文芸部などに入りたいとはあまり思いませんでした。人見知りをするほうだったし、話をするのも下手だったので……。大学に入るとお小遣いが増え、前にもまして自分で本を買ったり、時には映画にも一人で行って楽しんでいたのを覚えています。現代詩や詩論を、関学のなかにあった小さな池――確か白鳥や水鳥がいた――の側のベンチでよく読んでいたことを懐かしく思い出しま す。

【上ヶ原への思い、大切な出会い】
岩阪さんが一昨年出版した初の随想集『台所の詩人たち』(岩波書店)のなかには、「上ヶ原」という文章がある。子どものころから親しんできた上ヶ原という土地への思いが中心に語られているが、そこには人生を変える貴重な出会いがあった関学時代への感謝がエセンスとして盛り込まれているように思う。どんな大学時代を過ごしたのだろうか。

岩阪さん:関学を受験したきっかけですか? 実は、上ヶ原は私の母の生まれふるさとなのです。子どもの頃から親しみのある場所で、祖父母の家を訪ねると、決まってキャンパスに出かけては遊び回っていました。また、すぐ上の兄も関学で学んでいましたから、ごく自然に受験しました。文学が好きだったにもかかわらず、入学したのは史学科。やはり国文に転科しようかと迷っていたら、ある教授に「史学科にいても文学はやれますよ」と言われそのまま留まりました。

在学中のことで、強く印象に残っている言葉があります。それは、物理か化学の先生がテスト前に言われた「脳汗を絞る」という言葉です。「君たちは普段遊んで怠けているのだから、テストの時くらい脳に汗をかくほど勉強しなさい」と言われたんですね。

■運命の出会いに影響されて

岩阪さん: 大学2年の時だったか……、吉本隆明さんが関学に講演に来られたのは。私が大学生だった頃は学生運動が盛んで、吉本さんの著書は全共闘学生のバイブルのように読まれていて、文化祭などの講演会には引っ張りだこでした。たまたま帰り道で吉本さんと一緒になったので、私も詩を書いていること、詩作の上で気付いたことを話してみました。すると「30分でも1時間でもいいから、毎日鉛筆を握って紙に向かいなさい。書けなくたっていいんです。毎日続けることが大切なんです」と言われました。卒業までの約2年間、努力してみました。でも一つの言葉、一行の詩句も出てこない日がしょっちゅうあるんです(笑)。それでも机の前に座って、詩に向かうということが大切だったのです。書くに値する言葉というものは、「ぽっ」と浮かんでくるものではない。深く考え、量を書くことではじめて自分の言葉が見つかるものだということがわかりました。

同時にその時、ある詩人を紹介されました。それからその詩人へ毎月十数編の詩を送り続けました、まるで宿題のようにね。その詩人が清岡卓行であり、のちに私は清岡と結婚することになります。大学時代の詩作の結集として4年生のとき、詩集『ジョヴァンニ』を自費出版しました。結婚後は主人のすすめで小説を書き始めるようになり、詩はだんだん書かなくなりました。

【読む、そして深く考える】
若い学生や同窓生へのメッセージを訪ねると、「本を読んで欲しい」と岩阪さんは言う。活字離れという言葉がささやかれる現代、本を読むということの意義を伺った。

岩阪さん: 今、本を書きたいという人は大勢いるのに、読む人は少なくなっている。不思議なことですよね。私が物書きのひとりだから言うのではありませんが、例えば、大学生に本を読ませそれについて自分の考えを書かせるといった "言葉に取り組む"機会を増やして欲しいと心から思います。言葉もやはり勉強するものです。日本人に生まれたから誰でも日本語を操れる……本当にそうでしょうか。私たちは今 もっと自分の頭で考えなければならないのに、言葉を疎かにして深く考えることができるのでしょうか。もっと本を読んでください。


【PROFILE】
岩阪 恵子(いわさか けいこ)
作家。'69年文学部史学科卒業。'70年、詩人の清岡卓行氏と結婚。'86年『ミモザの林を』(講談社)で第8回野間文芸新人賞、'92年に『画家小出楢重の肖像』(新潮社)で第20回平林たい子文学賞を受賞。'94年『淀川に近い町から』(講談社)で第44回芸術選奨文部大臣賞、第4回紫式部賞を受賞。'00年『雨のち雨?』(新潮社)で第26回川端康成文学賞を受賞。'01年8月には、随想集『台所の詩人たち』 (岩波書店)を出版。
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