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社会で活躍する同窓生をCLOSE UP 輝くKG同窓生のインタビューとメッセージを掲載します。

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  017 籾井美恵子さん  谷田部・籾井法律事務所 弁護士


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弁護士を目指すきっかけをもたらした
ゼミでの出会い



弁護士が集中する東京において、若くして個人事務所を開設した籾井美恵子さん。昨今、テレビの企画番組で法律が人気を集めたり、国内外のドラマで女性弁護士がフューチャーされるなど、弁護士という職業や法律について身近に感じる機会が増えている。さぞかし子供の頃から、この特別な職業に対して夢を描いていたのだろうと思いきや、籾井さんが法学部を受験したのは、法曹の世界に興味があったわけでも弁護士に憧れていたわけでもなかった。彼女の言葉から「ただ漠然と……」というフレーズが出たのは、とても意外だった。それならば、難関と言われる司法試験に立ち向かってまで弁護士を目指すに至ったきっかけは、いったい何だったのだろうか。  

とにかく、ただ関学の一員になりたかった

兵庫県三田市で生まれ育った籾井さん。親和女子中学校・高等学校に通っている頃から、関学は憧れの的だったという。

「今でもそうですが当時もアメリカンフットボールが強く、よく応援していました。チアリーダーの華やかさも鮮明に記憶に残っているのですが、女学生だった私は漠然と自分もあの世界に入りたいと夢見ていました(笑)。それから、上ヶ原の中庭の芝生の風景、ヴォーリズの建築美、桜並木など、全てが絵に描いたようなキャンパスライフとして映り心を揺さぶりました。だから1年浪人してでも、絶対に関学に入りたくて……法学部のほかにも複数の学部を受験しました」

他にはどんな学部を? また、その中から最終的に法学部を選んだ理由はありますか?

「合格したのは全部で3学部。法学部のほかに商学部と社会学部にも受かりました。法学部を選んだのは、単純に法律方面も面白そうかな? という漠然としたイメージだけでした」  

★ ★ ★

弁護士への道を決定づけたゼミとの出会い

2回生までは一般教養が中心のため、この時まではさほど弁護士を意識することはなかったという。法学部は女性の割合が少ないため、30人のクラスで4人しかいない女性同士で、“好き勝手サークル”なるものを結成して、興味のあることを研究したり旅行へでかけたりという日々を楽しんでいた。そして3回生、運命のゼミが待ちかまえていた。

「私が選んだゼミは、前野育三先生の刑事訴訟法に関するゼミでした。そこで、冤罪事件を取り上げる授業の一環として、当時甲山事件に取り組んでいた関学ご出身の弁護士である上野勝先生のところへ行ってお話を伺う機会がありました。膨大な記録を見せていただいたり、検察側の主張、裁判所の心証形成過程、弁護側の主張の組み立て方を研究することで、弁護士という仕事を目の当たりにしました。」

籾井さんは、この授業をきっかけに冤罪事件に潜む矛盾に強い違和感を覚ると同時に、どんどん興味のベクトルが向いていった。免田栄事件を取り扱った本をはじめ、冤罪に関連する本にも読みふけった。

「刑事訴訟法では無罪推定の原則というのがあり、起訴されても有罪判決が確定するまで被告人は無罪の者として扱われなければならないのです。でも、一度起訴されると90%以上は、有罪の判決がおりてしまう……そのギャップへの疑問がどうしても断ち切れなくて。個別に上野先生の事務所に伺っては、様々な事件の記録を見せていただくようになりました。3回生、4回生で冤罪事件について深く勉強するうちに、次第に法曹の世界へとベクトルが向いていきました」

★ ★ ★

「女性は資格を持った職業に就くべき」

母の一言で、本格的に弁護士への道を目指す 上野先生との出会いで弁護士への憧れはありましたが、就職活動の段階になっても自分がどの道を進むべきか迷いがあった。

「憧れはありましたが、自分が本当に難関の司法試験と立ち向かえるのかも不安でしたし、一歩を踏み出す勇気がなかったんです。そんな時、母の昔からの教育方針ではあったのですが、女性は資格を持った職業に就くべきだと……そんな母の言葉に導かれて就職活動はほとんどせずに、法曹への道を決心しました」

3箇所の予備校を掛け持ちしながらも受験生活は3年半に及んだ。最後の1年間は、1日14時間机にかじりつくほどの追い込みをかけた。そして、1998年、司法試験に合格。だが、そこですぐに弁護士になれるというわけではない。ここからさらに、1年半の司法修習生としての研修がスタートする。

「最初の3ヶ月は埼玉県の和光市にある寮から司法研修所へ通い、刑事・民事それぞれの実務のありかたを学びます。それから弁護修習、検察修習、裁判所修習を各地で経て、最後の3ヶ月再び和光市で後期修習を行います。この間、自分がどの道を進むべきか、適正を判断。私は、実際の弁護修習を経て民事事件の奥の深さに魅力を感じ、刑事と民事と両方できるのは弁護士だと思い、弁護士を選びました。最終的には二回試験と呼ばれる試験に合格して、初めて弁護士としての資格が与えられます」

★ ★ ★

大阪から東京へ、そして身近な法曹を目指して

業務を開始したのは、弁護修習でもお世話になった大阪だった。そして、司法修習時代に知り合ったご主人との結婚を機に、東京へと拠点を移した。

「自分の基盤は関西にあったため、大阪を離れることに不安がなかったといったら、嘘になります。東京は弁護士が密集していますし。でもその一方で、一人じゃないという安心感もありました。東京では事件の数も圧倒的に多いため、様々な案件に出会えると、前向きに考えるようにしましたね。最近では、女性の弁護士に対するニーズがとても増えているんです。現在全国で登録されている2万1191名の弁護士のうち、女性の登録は2659名と12%に過ぎませんが、昨年度の女性合格者の割合は24%と年々上昇傾向にあります。特に、民事で離婚を取り扱う場合などは、女性側に同姓の弁護士がつくことが求められるケースが多くなっています」

落ち着いた柔らかな口調で、これまでのことを振り返りながら語ってくれた籾井さん。最後にどんな弁護士を目指したいかを伺った。

「2004年から法科大学院が設置されたことで、これからは弁護士の数かかなりふえていきます。さらに裁判員制度の導入がにわかに現実味を帯びてきた今、一般の人の法曹への関わり方はもちろん弁護士のありかたも変化していくと思います。いろんなタイプの弁護士がいるなかで私が目指したい弁護士像は、依頼者に寄り添って親身になって話を聞いてあげられるような、相談しやすい弁護士になりたいですね。例えば、何気ない日常を過ごしていても、思わぬ紛争に巻き込まれてしまうことがあるものです。そんな時、自分だけで解決しようとせず、大きな問題に発展する前に弁護士に相談することが大切だと思うのです。予防策としての法律相談、どんなことでも心配事があれば気軽に扉を開いてもらえるような事務所にできれば思います」
【PROFILE】
籾井美恵子さん

(もみい みえこ)
1970年、兵庫県生まれ。1994年、関西学院大学法学部法律学科卒業。1988年、司法試験合格。2000年、司法修習修了、弁護士登録をして大阪で業務開始。2003年、結婚を機に業務の拠点を東京に移し、東京弁護士会へ。2004年、新宿区にて「谷田部・籾井法律事務所」を開設。    
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