【ご講演の概要】

   三日月会新年のスタートは関学グリークラブの愛唱歌「ウボイ」の数奇な運命についてです。曲の誕生から関学に譜面がわたるまで、またその後のウボイの旅について新月会(グリーOB会)の尾崎和義氏(昭和43年法卒)に「ウボイを知っていますか」というタイトルで語っていただきました。開始前にホワイトボードにさらさらと東欧とバルカン半島の地図を描いていただきました。あまり馴染みのない国名ばかりが狭い地域にひしめいている地図です。これがウボイとどうつながるのか。ご参加の34名のみなさまとご一緒に興味津々で学ばせていただきました。ウボイの史実と、演奏が世界をめぐり歩いた物語です。講演は新月会リサイタル(1918)のウボイ(ビデオ)から始まりました。 

1.グリークラブとは

 グリークラブは1899年に創部され125年の歴史があります。中学部、高等部、ウィメンズ、大学、新月会がグリーファミリーです。毎年9月には5団体によるグリークラブフェスティバルが中央講堂で無料開催されます。OBには山田耕作、日野原重明先生、平安神宮宮司の九条道弘氏、現理事長村上一平氏など多数の著名人を輩出しています。 

2.ウボイの誕生から原田の森まで

 グリーが直立して歌うのは校歌4曲、応援歌、そしてウボイだけです。ウボイは16世紀のオスマン帝国 vs ハプスブルグ家の緊張した政治情勢のエネルギーの中から生まれた歌です。ハンガリー南部で行われたシゲットヴァール砦包囲戦。クロアチア総督ズリンスキはハプスブルグ領のシゲットでオスマン帝国軍を迎え撃ちますが、籠城軍は全滅、城は陥落します。この時の正確な記録が残されており、それをもとに19世紀にケルナーが戯曲[ズリー二]を発表、50 年後にそれを参考にしてクロアチアの作曲家イヴァン・ザイツがクロアチア語の男声合唱曲ウボイを作曲します。歌詞は同じくクロアチアのマルコヴィッチ作です。その7年後ザイツはオペラ「ニコラ・シュービッチ・ズリンスキ」を作曲し、最後の突撃の行進曲としてウボイを使います。ウボイは「戦いへ」という意味のクロアチア語です。

 さてウボイは誕生しましたが、それがどうして原田の森までたどりついたのか。それに関わるのが1914年から始まった第1次世界大戦です。開戦と同時にロシア領内のチェコ移民・スロヴァキア移民によって小規模のチェコスロヴァキア軍団が組織され、其の後はもともとオーストリアの圧政に不満な応召チェコ人・スロヴァキア人動員部隊の投降兵たちが軍団の中心となり、ロシア正規軍に編入もされるようになりました。しかし、10月革命後、ボルシェヴィキは独墺と単独講和をして戦線離脱。対独墺戦線と帝政ロシア軍という後ろ盾を失い、おまけに赤軍から武装解除を要求された軍団はこれを拒否。赤軍と抗争しつつ東進、ウラジオストックからヨーロッパへ向かうことになります。この中に何故かクロアチアの合唱曲ウボイをレパートリーに持つ軍楽隊/合唱隊がありました。1919年8月にウラジオストックから出港したへフロン号に乗船していたのが偶然その大隊でした。船は台風と遭遇して下関沖で座礁します。軍団兵(約870人)は本船修繕の地神戸へ移動。そこで県外事課が軍団との対応のために英語に堪能な人物を探し、グリー部員の塩路義孝が通訳を引き受け、軍団をサポートします。その交流の過程でウボイの合唱を耳にし、何度もの交流/交歓/相互訪問を経て譜面を借り受け、クロアチア語の楽譜をうつし、20名ほどの部員で練習しました。1919年9月のことです。10月末の出航前日、軍団宿舎で行われた送別会で、グリークラブがそれを歌うと兵士たちの目に涙がうかんだそうです。以後ウボイは門外不出の秘曲として歌い継がれていきます。ウボイがどのような経路で軍団合唱隊のレパートリーになったかは、未だ解明されていません。 

3.戦中そして戦後のウボイの旅

 1935年第9回合唱競演会でグリーはウボイを自由曲に選び、初出場からの3連勝を果たします。この年にはグリーOB合唱団の新月会が発足しています。1941年“太平洋戦争”が始まり、出征する部員やOBを団員はウボイを歌って送りだしました。19名が戦死、9名が行方不明になりました。この間、グリーは個人宅などで定期練習を欠かさず、残された現役2名とOB2名だけで松下電器門真工場でのウボイを含む慰問演奏をしたこともあります。グリー80年史には「グリーを守り抜いた」という誇らしげな記述があります。

 1965年ニューヨーク・リンカーンセンターでの第一回世界大学合唱祭にグリーはアジア代表として招待を受け渡米、昼食会でウボイを歌い始めるとユーゴスラビアのスコピエ大学合唱団(北マケドニア)が一緒に歌い出しました。そこでウボイがユーゴの有名なオペラの中の一曲であることを教えられます。その後メンバーの一人はオペラのレコードを入手し、この歌がオペラのクライマックスでうたわれる曲ということがわかりました。1989年ついにグリーはウボイの故郷であるザグレブを訪問します。大歓迎をうけ、特別に上演されたオペラも鑑賞、翌日の演奏会でウボイを演奏し、その里帰りを果しました。毎年2月のグリークラブリサイタル(定期演奏会)では現役・OBが一緒にウボイ歌い4年生を送り出します。この演奏はグリーのメンタルハーモニーと伝統継承を象徴する存在となっています。

 1992年にはザグレブ・フィルハーモニー(指揮:大野和士)の大阪演奏会アンコールにグリーが参加してオーケストラ付きウボイを歌いました。オペラのウボイはグリーの歌っていたテンポよりも相当早く、グリーを驚かせました。2003年のグリー欧州演奏旅行、以前から交流のある南ドイツのベッツィンゲンを訪問するとそこの男声合唱団もウボイを歌っていました。これはグリーから習ったものだそうです。この時ベッツィンゲン村では“グリークラブ通り”(Glee Club Weg)のサプライズ命名除幕式が行われました。2014年には新月会の有志が9月初めにシゲットヴァール遺跡公園でおこなわれるズリンスキを顕彰する“ズリー二祭”に参加、正式プログラムとしてウボイを演奏しました。

 2019年のグリー120周年・ウボイ100周年記念グリークラブフェスティバルにはクロアチア大使・チェコ大使・スロヴァキア大使代理、慶應ワグネルOB・稲門グリー・同志社クローバークラブ代表者を招待し3種類のウボイを演奏しました。オペラ版(混声版)、正統ウボイ(ザイツ作品集による男声版)、伝承版(チェコ軍団譲りの男声版)の3種類です。グリーでは1990年代に一時“正統ウボイ”を採用したこともあるのですが、其の後当時の新月会会長の林雄一郎氏の同意を得て“伝承版”が歌い継がれることになったそうです。 

 ウボイの100年にわたる数奇な旅の物語に感動しました。フィナーレはいつもウボイということで、最後にグリークラブリサイタル(2020年)の演奏を聞かせていただきました。ウボイの最後のフォルティッシモの9拍のうち4拍目あたりから拍手がくると嬉しいとのことでした。覚えておきますね。ありがとうございました。 

【以下開催時のご案内抜粋】

  2024年の初春を飾る三日月会1月度例会は、東京支部のオフィシャル刊行物「コパン」の初代編集長を担当されました尾崎和義氏をお招きし、「ウボイを知っていますか、クロアチアからチェコ、シベリア経由神戸、そしてニューヨーク、ドイツへ」というタイトルでご講演を賜ります。

ウボイは日本最古の男声合唱団である関学グリークラブの演奏会のアンコール曲として多くの方に親しまれています。そのウボイがどのような経緯を経てグリークラブの愛唱歌になったのか、その後、いかにウボイが国際親善に重要な役目を果たしたかなどの興味深いエピソードがうかがえます。もちろん当日は、現役・新月会によるウボイもご拝聴いただきます。

是非とも多数の皆様のご参加を賜わりますよう、ご案内申し上げます。

                            記

日  時: 2024年1月6日(土曜日) 14時30分~15時45分 【14時開場】

場  所: 関西学院同窓会本部 銀座オフィス

東京都中央区銀座三丁目10-9 KEC銀座ビル7階

アクセス: 都営浅草線「東銀座」A8徒歩1分、銀座線・丸の内線・日比谷線「銀座」駅A12徒歩3分

会  費: 1,000円 (小ペットボトルの飲み物を用意いたします。)

講  師: 尾崎 和義(おざき かずよし)氏

1968年 関西学院大学法学部政治学科卒業、グリークラブ海外マネージャー

1968年 三井物産株式会社入社

1999年 同社退職後は、日本国土開発株式会社、WFP日本事務所、

3施設の医療法人を担当する事務長を歴任

現在     完全隠退

演題:「ウボイを知っていますか、クロアチアからチェコ、シベリア経由神戸、そしてニューヨーク、ドイツへ」