E-News & Songs 4月例会報告(2024)      4月リーダー/文責 村上剛康

 

THE POTSDAM Proclamation (Jul.26. 1945)

ポツダム宣言を題材に4月11日にオンラインを交えて6名の参加者によって宣言の原文の翻訳・解釈、英文の検討、設問への回答・コメント及び意見の発表・交換を行いました。

題材選定の背景

ポツダム宣言は、日本がこれを受諾することによって大戦の降伏を表明した声明であり、ポツダム会議は大戦終了期の米国、ソ連、日本の思惑が絡み合った国際政治のヤマ場であると言えること。またこの直後に日本は原爆の投下、ソ連の宣戦布告を経験し終戦を迎えたこと。ゆえに、この宣言にまつわる史実から学びうるものが多いと感じたこと。 

なお、日本語による宣言文については外務省による翻訳は古文調のものがあるのみで現代語訳文はなく、一般には理解しがたい。

 

ポツダム宣言前後の重要史実

【設問】

主質問

・実質的な最後通牒といわれるポツダム宣言、受け取ってから2週間で日本は悲惨を極める災禍を被ることとなりました。この経緯は致し方なかったのでしょうか?

Since the Potsdam Proclamation which has been regarded as a practical ultimatum, Japan suffered from an untold devastation for about two weeks. Do you think it was unavoidable?

 

関連質問

(イ)日本の降伏は国体の護持(天皇制の維持、皇室の安泰)が必須条件でした。最終的にポツダム宣言の受諾もそれに掛かっていました。そこに国民が顧みられることはなかったようです。一方ポツダム宣言には戦後の日本の自由、民主主義、基本的人権の確保が謳われています。これは進んで受け入れるべきものように思えます。どう感じますか?

The prerequisite condition to Japan’s surrender was preserving then-existing frame of Japan (maintaining a sovereign system of emperor of Japan, securing a royal family of Japan). The final acceptance of the Proclamation was also subject to that condition. There, no evidence of having considered Japanese people seems to be found. On the other hand, the Potsdam Proclamation stipulates to secure freedom, democracy, fundamental rights for Japanese. This looks like what we would have for ourselves. How do you feel?

 

(ロ)ポツダム宣言は米国が原爆投下を避けるための最後通牒だったのでしょうか。しかしポツダム宣言の発表前7/22に天候条件が良ければ8/3に実施の原爆投下の指令が行われています。原爆投下は既定路線であり、終戦に至る前に投下したかったのでしょうか。

Was the Potsdam Proclamation an ultimatum to avoid a probable strike of an atomic bomb by the U.S.? But fact shows that an order was issued on July22,1945 which says to strike an atomic bomb on Aug.3 if weather permit at Hiroshima. That order preceded the Potsdam Proclamation (July26). Was the strike of an atomic bomb a fixed design and did U.S. desired it prior to the Japanese surrender?

 

メンバーからの意見

・米国は戦争が早期に終結されることを知っていたが原爆を投下した

・原爆投下は大戦後に米国が核の指導権を取りたかったためである

・鈴木首相が「黙殺」ignoreと発言したのは著しく非外交的であった

・この重大時にも日本の政治の悪い特徴(癖)が露になっている:曖昧さ、身内の論理

・原爆投下はポツダム宣言を日本が承諾をしなかったので、米国が主張するように「投下をある種、当然視する」のは致し方ない

・満州を占領するなど、軍隊が既成事実を重ねた挙句、大戦にのめり込んでしまった

・トルーマン大統領の日記から分かるように、原爆投下は苦渋の決断で致し方ない

・ポツダム宣言を早期に受け入れてれば、原爆投下は回避できたかもしれない

・日ソ中立条約を信じていたのは日本側の危機感の欠如

・間もなく敵国となることを知らず、ソビエト連邦の仲介を期待し、回答を先延ばしするのが得策だと判断をあやまった

・戦前生まれの国民の1人として、情けない気持ちが先に立ちます

・日本のポツダム宣言の受諾は最悪の中での最善の選択肢であった

・ソ連の早期の参戦は北海道がソ連領土につながっていた

・ポツダム宣言の受諾にかかわる経緯から教訓を導き出すことが大事

・戦争の開戦、終戦のあり様は国の特徴を表す

・「国体の維持」が受諾の最終判断基準で、国民や国土の破滅より優先された

・しかしポツダム宣言を受け入れたことは国民に対する配慮があったとも考え得る

・「聖断」は天皇によるポツダム宣言の条文の不正確な解釈に基づいていた

・大戦の始まりも終わりも、お粗末の極み

・しかし、「聖断」以外に終戦は見通せなかったので、その意味では幸いであった

・自由、民主主義、基本的人権を保障しているポツダム宣言の受諾は国民にとって当然

・日本軍に統治されていた時代より日本国民には自由で、これらの条件を受け入れたことはその後日本にとって良かった

・現在の日本を見たとき、国体・天皇を守るために戦死した人の目的とは現状は真逆であり、言葉がない

・現人神の天皇とその臣民たる自己を信じ込ませた教育。教育とは怖ろしいもの

・原爆投下は既定路線であり、トルーマン大統領の報復

・ヨーロッパにおいて戦後の主導権をめぐって対立を深めていたアメリカは原爆の威力をソビエトに見せつけ、軍事的優位を示そうとした

・ポツダム宣言で日本に警告し、拒絶したらそれを口実にして原爆投下するというシナリオだった

・研究者の解明では、ポツダム宣言ははじめから原爆投下の口実であったと考えている

 

事柄が重要かつ複雑で、短時間でまとまりの付くものではありませんでした。また結論を出せるような性質のものではく、多様な意見が出て、議論は終了時間まで続きました。

以上