三日月会は、8月、9月とコロナ禍の影響で中止させていただきましたが、10月例会は池田裕子学院史編纂室専任主管をお迎えし、開催することが出来ました。

   2016年から始まった「関西学院の真実シリーズ」第6回として、「ラトビア人教師イアン・オゾリンが紡いだ糸」と題してご講演をいただきました。

   ラトビア人英語教師をたどることで、歴代のラトビアの大使や要人と関西学院大学・池田さんご本人が素晴らしい糸を紡いでいかれました。

   人気の高い「関西学院の真実シリーズ」でしたので、32名の多くの皆様にご参加いただきました。池田さんのユーモアを交えてのお話と「百万本のバラ」を歌ってくださるというパフォーマンスもあり楽しい時間を過ごされたのではないでしょうか。ありがとうございました。 

【ご講演の概要】

 2021年、ラトビア共和国と日本が友好関係を結んで100年を迎えることを記念して、駐日ラトビア大使館が100枚の写真を使って両国の歴史的関係をSNSで発信をしました。その中で、1918年から21年にかけて関西学院で英語教師を務めたイアン・オゾリン(ラトビアでは作家ヤーニス・ブルトニエクスとして知られている)が紹介され、注目されました。ラトビアの首都リガにおいても、特別展「ラトビアと日本100年の友好関係・人物と遺品」で、オゾリンが日本から持ち帰ったものが展示され、関西学院のことも紹介されました(展示の模様はラトビアテレビで放送されました)。ラトビアは、北ヨーロッパにある人口200万人弱、面積は九州と四国を合わせたくらいの国です。

   イアン・オゾリンを調べるきっかけは、大正時代のわずか3年の間、アメリカ人宣教師とカナダ人宣教師がいる関西学院で、英語が母語でないラトビア人が英語教師を務めていたことに関心を持ったことでした。商学部を卒業してからロシア語を習っていた時にラトビアを意識したこともあり、調べ始めました。

   学院史編纂室に残る資料によると、オゾリンは1894年にラトビアの貧しい家に生まれ、アメリカのカリフォルニア大学で関西学院の畑歓三教授と知り合い、その縁で1917年に来日したようです。1918年から1921年まで、関学高等学部(今の大学に当たる)の英語教師となり、1920年からは、日本おけるラトビア外交代表としての職務も始めました。1921年5月、『琥珀の國』を日本語で出版し、7月にラトビアに帰国しています。 

   関学の年史にはイアン・オゾリンの名前は出てきませんが、1931年に発行された『文学部回顧』や、教え子が書いた文章に以下のような記述を見つけることができました。

   16か国語を話す非常な勉強家、教わった日本語を男女の区別なしに使用した、銭湯に通っていた、お箸を使って学食で食べていたなどです。教え子には、曽根保、由木康、壽岳文章、岩崎武夫など著名な方々がいます。

   関学内で池田さんだけがオゾリンに関心持つという日々が続いていましたが、2007年に転機が訪れます。大阪外国語大学からイアン・オゾリンについて調べたいというラトビア人留学生がいるとの連絡をもらったことです。個人的に集めた資料の全てを留学生のターヤさんに提供しました。オゾリンについて調べているターヤさんとの出会いは嬉しいものでした。その後、『学院史編纂室便り』に「ラトビア人教師オゾリンをめぐって」を書くことになります。

 オゾリンのことを調べていくうちに、東京に日本ラトビア音楽協会というのがあり、そこで小田陽子さんが「マーラが与えた人生」という歌を歌っているのを知ります。これは「百万本のバラ」の原曲でした。小田さんは、ロシアの歌と思い込んでいたのが実はラトビアの歌だったと分かると、ラトビアに飛んで行って作曲者に会い、元の詞から訳し直してCDにされました。小田さんの歌と行動力に感動して手紙をお送りしたところ、日本ラトビア音楽協会新年会で小田さんがオゾリンのことを紹介してくださいました。その新年会には、初代駐日ラトビア大使が参加されていました。1991年にソ連から独立したラトビアは、2006年に東京に大使館を開設していたのです。2008年1月、ラトビア大使館から職場に電話があり、3月に大使館を訪問しました。そして、『学院史編纂室便り』の原稿をラトビア語に翻訳して本国に送ったところ、外務大臣が大変喜んでいると、ヴァイヴァルス大使からお礼を言われ、秋に関学で講演させてほしいと頼まれました。2008年10月、関西学院大学で初めてラトビア大使による講演会か開催され、約200名が参加しました。マスコミにも取り上げられ、ラトビアとのつながりが広がっていきます。

   2009年1月には、ゴドマニス首相の歓迎会に出席しました。2011年10月、ヴァイヴァルス大使による二度目の講演会開催時には、国交樹立90年・国交回復20年の記念として、大使からシラカバと国樹オーク(オゾリンとは、ラトビア語で「オーク」の意)の苗木が贈られました(文学部北に植樹)。さらに、外務大臣からの感謝状が贈呈されました。また、大使のお力添えにより、ラトビア大学と協定が締結され、学生交換も始まりました。その後も、2012年3月、京都迎賓館で行われたラトビア国会議長歓迎夕食会への招待、2014年8月、初めてラトビア訪問、2014年10月、2代目のペンケ大使による関西学院創立125周年記念講演、ラトビアの日本語弁論大会で優勝した青年による経済学部でのチャペルトーク、リガ女声合唱団と関学グリークラブとの合同演奏会と続きます。

   ラトビアとの交流は、同窓にも広がりました。同窓会東京支部英語サロンで大使館員にお話しいただき、さらには大使館のご好意により、英語サロンを大使館で開催させていただきました。

   2019年12月、3代目のダツェ・トレイヤ・マスイー大使の講演会が開催されました。代々のラトビア大使による関西学院での講演会は、継続しています。

   小さなことにこだわり、小さな疑問を突き詰めてきたことにより、思わぬ世界が目の前に広がりました。定年退職を前に、こうした経験を文章にして一冊の本にまとめています。「神は細部に宿る」を胸に原稿執筆に没頭していますと締めくくられました。 

   今回のご講演で、1つの契機から糸のように次々と人とつながっていくということを教えていただきました。池田さんのお人柄と探求心が、ラトビアとの友好関係を構築してくださいました。来年3月でご退職とのことですが、またのご講演を切望いたします。

【以下開催時のご案内抜粋】

 三日月会2022年10月度例会は、皆様からのご期待に応えて、毎年ご出講いただき最も人気の高い池田裕子(いけだゆうこ)学院史編纂室専任主管をお迎えし、下記内容にてご講演を賜ります。

2016年から始まった『関西学院の真実シリーズ』の第6回は、関西学院が上ケ原ではなく、創立の地、原田の森(現在の神戸市灘区)にあった大正時代に教師をしていたラトビア人のオゾリンのお話です。ラトビアは、北ヨーロッパにある人口200万人、面積は九州と四国を合わせたくらいの国ですが、そのラトビア共和国が昨年(2021年)、日本と友好関係を結んで100年を迎え、オゾリンの存在がラトビアで改めて注目されました。

関西学院でわずか3年間教えただけのラトビア人青年がなぜ注目されたのか、その理由を拝聴できるとの事、是非とも多数の皆様のご参加を賜わりますようご案内申し上げます。

                   記

日  時:2022年10月8日(土曜日)14時30分~15時45分【14時開場】

場  所:関西学院同窓会本部 銀座オフィス

東京都中央区銀座三丁目10-9 KEC銀座ビル7階

アクセス:都営浅草線「東銀座」A8徒歩1分、

銀座線・丸の内線・日比谷線「銀座」駅A12徒歩3分

会  費 :1,000円 (小ペットボトルの飲み物を用意いたします。)

講 師:池田(旧姓:村瀬) 裕子氏

1980年:関西学院大学商部卒業後、学校法人関西学院に就職

理学部、総務部システム課、大学図書館閲覧課、国際交流課、経済学部を経て

現在:関西学院大学 学院史編纂室専任主管、関西日本ラトビア協会常務理事

趣味:ガーデニング、ラトビア語

タイトル:『関西学院の真実:ラトビア人教師イアン・オゾリンが紡いだ糸』

                                                    以上