E-News&Songs 7月例会報告書(2023)      7月リーダー/文責 村上剛康

7月13日に銀座オフィスとオンラインで結んだハイブリッド形式で合計6名の参加者により、7月度の例会を開催しました。当ENSでは例会でJapan Timesの社説の英文解釈をベースとしていましたが、今月の例会では「英文解釈」を「条文解釈」とし日米安保条約の英語による原文、特に第5条を対象にしました。

 

1. 主題:日米安保条約の真意は? 副題:助動詞で読み解くアメリカの防衛構想
2. 設問 
①条約上の米国の日本防衛義務の有無 ②日米安保条約の真の目的? ③日本人の(事実や科学的根拠に基づかず、空気に流され、インスタントな)特性と当該条約との関係

今回の主題、問いの設定は、まず通常の日本人が持つと思われる『日本有事には米国が日本の防衛義務を有するとの認識』は条約に基づいた確かなものであるかを原文で確かめること。次にこれを米国が他国と結んでいる初治の安保条約と条文比較をすることで見えてくる米国の防衛構想を探ってみること。さらに条約が国会で批准され国民に浸透し、条約の『安心解釈』の醸成の元は奈辺にあるかを推測することにありました。なお、これらの問の設定は助動詞「would」が鍵を握るものとして認識が前提となっています。

例会では、本題とは直接の関係にはないものの当該条約の今日までの有効性、現下における必要性と重要性についての異論はなく、また現アメリカ政権下における日本有事の際の米軍の参戦の見込みについて疑う者はいませんでした。

設問①について
・多数意見:5条には米国の参戦意図が少なくとも読み取れる、又は確かに規定されていると解釈できるので、「義務は有る」とした。
・単独意見:条文中には義務を規定する文言がなく、米国に対し拘束力を持たないとした。
議論の核心部分は助動詞wouldの解釈についてでした。例会終了後もChatGPT、英国人の解釈例や文法書による用例を引き合いに出して議論が継続しました。

設問②について

・多数意見:日本及び極東アジア地域に対する米国の防衛

・単独意見:米軍本位の日本への駐軍、及び日本領域の使用容認

設問③について
・多数意見:そもそも「米国による防衛義務」がある当該条約は有意義なものであり、悪しき特性とは無関係。
・少数意見:明治以降の天皇の神格神話、太平洋戦争の勝利神話、原子力発電の安全神話などと日米安保条約の安心神話とは類似している面もある。これは日本人の悪しき特性を表す一例と言える。

他の例会中の討議④ 「第5条翻訳の問題」
当該条約の第5条内容に関し英文と日本文(共に条約の正本の扱い)の間に不一致があるとの意見に対し、
・多数意見:学者、専門家が関与し、国会で批准を受けたものであるので翻訳に間違いはない。
・単独意見:外務省翻訳は正しいとは言えず、これが批准されたことはさらなる問題でもある。

3. 助動詞とアメリカの防衛構想
例会での討議は基本的に上記まででありましたが、副題の助動詞で読み解くアメリカの防衛構想が手つかずの状態ですので、メンバーに配布済みの資料に基づいて解説を以下に記します。

米国国務省の資料によると、米国の締結している防衛条約は①RIO Treaty(’47) ②NATO(’49) ③Korea Treaty (’53) ④Southeast Asia Treaty (’54) ⑤日米安保条約(’60)の5つがある。
内、参戦を規定する条文で意思を表する助動詞willもしくは強制を意味する助動詞shall be (considered)使っている条約は①、②、④であり。一方③韓国、⑤日米安保条約は助動詞wouldを参戦を規定する文中で使用している。will, shallにより米国が参戦意思を表している①、②、④の地域は北大西洋、欧州、中南米大陸、オセアニアであり、これらの地域については米国は自国並みの安全保障、防衛対応を構想していることが分かります。又それらの地域から外れる韓国、日本は前者とは異なる対応となっていると見ることもできます。

尚、上記④のSoutheast Asia Treaty(’54)は1951年に米国がオーストラリア、ニュージーランドと締結したANZUS Treaty1951が前身です。そのANZUS Treaty1951には、上記③Korea Treaty、⑤日米安保条約の参戦を規定する条文と同一の条文(would act to meet the common danger in accordance with constitutional…)を用いたことが分かりました。(現行の④Southeast Asia Treaty(’54)はwouldに代えてwillを使った条文に変更されています。)
Wikipediaによると、上記ANZUS Treaty1951はnon-binding collective security agreementと解説してあり、同一文言を使用している日米安保条約第5条の解釈について参考となる事例と考えます。

以上のように米国は自ら締結した防衛条約において助動詞を使い分けており、一方では自らに参戦義務を課し絶対的防衛を意図し、他方で自己の判断により参戦を可能とするという二分した防衛構想を抱いていると考えることができると感じます。

4. 対日感情と日米安保
日米間には感情が流れている。歴史をたどれば早くも1905年ころから「黄禍論」が米国で発生し、その後も排日移民法の制定などを経ながら反日感情が高まっていった。そういった中で1941年、米国は真珠湾攻撃を受けた。まさに反日感情への決定打であったと言えると思います。
敗戦間際の我が国への二度の原爆投下をそれまでの40年をかけて蓄積した反日感情がその背景となったのかもしれません。
その後6年間の占領期間を経て、旧安保条約の締結、9年後に現安保条約の調印となりました。
このような比較的短期間で日本は米国の友好国となるよう努力を重ねたわけです。しかし米国は日米安保条約を結ぶとき日本有事の際、NATO条約のように条約に縛られてまでも、自国と同様に守り抜く同盟国として日本を処遇する気持ちになったのでしょうか。それとも必ずしも条約に縛られない方策を思案したのでしょうか?

一方、米国で直近、最高裁でaffirmative actionは憲法違反であるとの判決が出ました。その制定も廃止も同じく歴史的なことのようです。この判決はアジア系住民による訴訟に対するものと聞いています。affirmative action によってアフリカ/ヒスパニック系住民の大学入試は優遇扱いを受けてきた、しかしそのあおりを受けてアジア系住民は逆に不利な扱いを受けてきたということです。これはアジア系住民にとっては、affirmative actionと上乗せされた人種差別で二重の差別を実際に受けており、不当ということでハーバード大学(?)を提訴したと新聞報道で知りました。最高裁はそれを原告の主張通り不当と認め、大学側を処罰したのではなく(?)、入試にaffirmative actionなどという人種差別政策がそもそも違法との判決を出したようです。法理の妥当性はわかりませんが、この事象は、アジア系住民は人種差別の是正という重要政策においてさえもハーバード大学に象徴される米国エスタブリッシュメントから現実的に疎外/軽視されている事実と歴史を物語っている気もします。

日米繊維交渉、自動車、半導体・・。そのたびに「ジャパン・バッシング」という怒りの鉄槌で迫られて、超法規的、非競争的な対応を日本は余儀なくされました。

自国が中国と蜜月になり、「ジャパン・パッシング」を日本は経験しました。

国民感情と自国の利益計算で成り立っている政治、外交、歴史を認識した時、確たる証文無しで、日本は「安全保障」を信じるばかり(安心神話)でいいのでしょうか?

今は「大敵」中国が「糊付け」となっている友好関係とも見えます。前政権のようにアメリカが覇権を投げ出す姿勢を示した時、日米関係はどうなるのでしょうか? その時日米安保条約第5条はどう解釈されるのでしょうか? はたして、そんな想定は見当違いでしょうか?

5.日米安保についてなすべきと考えること
  日米安保条約に「安心神話」を持つことは個人信条としては自由であると思います。しかし国家としては条約の条文上の実効性、拘束性を担保することが重要であると筆者は考えます。特に両国の政策当事者が互いに「米国の日本防衛義務が条約上ある」と理解しているのであれば、文言として誰もがverifyできるように助動詞would を見直す必要があるのではないでしょうか。

「Trust but verify」レーガン大統領が述べたロシアの格言だそうです。   
以上