8月の例会は「関西学院スピリットの原点を探る」というテーマで、前学院史編纂室専任主菅の池田裕子氏にご登場いただきました。毎年、学院史に関するエピソードをお話しいただき、今回は7度目になります。定年退職を機に『関西学院のエスプリを追って』を出版されました。その内容にも触れ、裏話を交えながらのご講演となりました。猛暑の中、32名もの皆様にお集まりいただきました。ありがとうございました。

【ご講演の内容】

池田さんは、学生時代を含めると47年を関学で過ごし、最後の25年間、学院史編纂室で勤務され、宣教師の足跡を追い求め、アメリカ・カナダを6往復されました。関学の正門前に立つベーツ先生の写真を見ながらの講演スタートでした。 

スクールモットー、Mastery for Serviceの誕生

 1889年、アメリカの教会の尽力で関学が創立され、1910年にカナダの教会が加わり、カナダからの初の宣教師の一人がベーツ先生でした。2年後、高等学部(文科・商科)が開設されると、ベーツ先生は商科の木村禎橘先生と相談の上、スクールモットー、Mastery for Serviceを提唱されました。ウオッチワード(合言葉)はCharacter & Efficiency。神学部と普通学部(現在の中高)にはすでにモットーがありました。5年後、ベーツ先生は離職されますが、1920年に院長として戻られます。上ケ原の時計台に掲げられているエンブレムには、Mastery for Serviceの上に、当時あった学校を表す三日月(中学部)、聖書(神学部)、マーキュリー(高等商業学部)、松明とペン(文学部)が刻まれました。1932年にできた校歌「空の翼」の歌詞にも入っていることから、この時点で、Mastery for Serviceが関学全体のスクールモットーになっていたことがわかります。その日本語訳は、1939年戦時中に用いられた「奉仕の為の練達」が、なぜか戦後も使われ続けました。中学部では、3年生になると、このモットーの「自分訳」を考えるそうです。2020年に最多得票を獲得した「自分訳」は「そっと手を差し伸べられる人」でした。 

原田の森時代の院長のエピソード

 創立者ランバスが関学にいたのは1年3ヶ月ほどですが、どんな時もユーモアを忘れず、ユーモアが彼を元気付け、精神を鼓舞し、心の健全さを保つ助けになったと、伝記に書かれています。

  2代目の吉岡美国院長については、ヴァンダビルト大学留学時代の親友、尹致昊(ユン・チホ)が日記の中で吉岡の人柄と英語力を高く評価しています。

  3代目 ニュートン院長のジョンズ・ホプキンス大学でのゼミ仲間は、アメリカ合衆国28代大統領ウッドロー・ウイルソン、北海道帝国大学初代総長佐藤昌介、新渡戸稲造で、彼らから受けた影響を学生にも伝えたと推察できます。

  4代目ベーツ院長の出身地はカナダのロリニャルという仏語圏の小さな村で、英語を話すマイノリティとして生まれ育ち、日曜には長老派、聖公会、メソジストの教会に通われました。それが、その後の多様な生き方につながったと思われます。 

原田の森キャンパス

 今は王子動物園になっていて、当時の校舎の跡地を示す立て札があります。中央講堂では、講演会や演奏会が開催され、学生は存分に文化を享受することができました。原田の森から移転したものは、西門(正門)→大学院1号館前、ハミル館→心理学研究室、蘇鉄→高中部礼拝堂前・初等部、日露戦争戦捷記念碑→高中部礼拝堂東など。 

原田の森のエスプリを追って

 著書は関学というより、原田の森のエスプリを追うという内容になっています。アメリカとカナダの関係地訪問により(歴代院長の故郷を訪ね、ご遺族と交流し、親密な人間関係を築きました)、思いがけない発見がありました。その発見から明らかになった事実を広報誌の「学院探訪」などに書いたものを中心にまとめました。ベーツ先生が学んだマギル大学の中のひとつのカレッジのモットーがMastery for Serviceであること、ニュートン院長の故郷サウスカロライナ州のシンボルが三日月であったことも、現地訪問によりわかったことです。 

「学院探訪」(印刷版・Web版)の反響

 「学院探訪」は、当初より日本語と英語で書いており、広報誌がバイリンガルになるまで、英語版はウェブページから読めるようにしていました。その中で、日本語の反響が一番大きかったのは、ベーツ初代学長が1932年に発表したミッションを紹介した時でした。ベーツ先生は、関学は使命をもった学校であり、そのミッションは人をつくることであるとし、具体的には純粋な心の人、芯の強い人、揺るぎない信念をもった人、寛大な人と言っておられます。英語で一番反響が大きかったのは、明治憲法下での天皇機関説事件と関学の中島重教授でした。 

世界とのつながり

・シカゴ大学との野球の試合

 1915年、早稲田大学に招かれ来日したシカゴ大学野球部が全ての日程を終え、神戸港からマニラに向かう寸前に関学との試合が実現し、関学チームの流暢な英語が大変喜ばれました。野球だけではなく、英語もというところがすばらしい。

・グリークラブと「ウ・ボイ」

 1919年にチェコスロバキア軍が船の修理のために神戸に滞在していた時、グリークラブが交流し、譲ってもらった楽譜が名曲「ウ・ボイ」です。以来、チェコ民謡として歌い続けてきましたが、1965年にニューヨークでの第一回世界合唱祭に参加し、休憩時間に「ウ・ボイ」を歌ったところ、ユーゴスラビア連邦のスコピエ大学の学生が一緒に歌い出し、最終的にクロアチアの歌だったことがわかりました。

・オリゾン先生

 1918年から21年まで関学で教えていたオリゾン先生はラトビア人で、教師の傍らラトビア外交代表の役割を無償で務め始めました。バイオリンの名手でもあり、グリークラブ第一回の定演ステージの記念写真にも写っています。

・神戸にある関学

 普通学部で学び、高等学部で教えた畑歓三は、キャンパスから神戸港を見下ろし、外国船が入港するとボートで船を訪問する中、国際感覚を覚醒させられたと書いています。キャンパスの北にあるカナディアン・アカデミーに通う外国人の子どもたちの姿もありました。ベーツ先生も、人や文化が自然に集まってくる、ここにいることは恩恵であると書き残されました。

 ヴォーリズが天皇の人間宣言に関わったことを今回初めて知りました。野球部出身で高名な版画家北山今三さんの版画を、オランダの画商から入手するまでの経緯をうかがうと池田さんの情報収集能力がいかにすばらしいかがわかります。関学スピリットは原田の森にあり。それをこよなく大切にし、伝えることに心血を注がれた池田さん。少しの疑問もおろそかにせず、丹念に調査をしてこられた集大成が今回のご著書です。みなさまにぜひご一読いただきたいと思います。

【以下開催時のご案内抜粋】

三日月会8月度例会は、今年3月に関西学院を定年退職されましたが、皆様からのご期待に応えて元学院史編纂室専任主管池田裕子氏をお迎えし、下記内容にてご講演を賜ります。

今から94年前の1929年、関西学院は創立の地、原田の森(現・神戸市灘区)を離れ、上ケ原に移転しました。翌年3月、上ケ原から初めて送り出す卒業生に、ベーツ院長はこう語りました。「あなた方は関西学院スピリットの生き証人です。母校は古い殻を脱ぎ捨てましたが、そのスピリットは新たな地で、新たな形となって生き続けます。あなた方の心に根付き、永遠に生き続けると、私は信じています」。

   ベーツ院長の言う、原田の森生まれの関西学院スピリットとはどのようなものだったのでしょうか。それは今も卒業生の心に根付き、生き続けているのでしょうか。『関西学院のエスプリを追って―カナダ、アメリカ、ラトビアへ』の刊行を機に、数々の写真や資料を使って、今だからこそ明かせる裏話を交えながら探ってみたいと思います。

是非とも多数の皆様のご参加を賜わりますよう、ご案内申し上げます。

                            記

日  時: 2023年8月5日(土曜日) 14時30分~15時45分 【14時開場】

場  所: 関西学院同窓会本部 銀座オフィス

東京都中央区銀座三丁目10-9 KEC銀座ビル7階

アクセス: 都営浅草線「東銀座」A8徒歩1分、銀座線・丸の内線・日比谷線「銀座」駅A12徒歩3分

会  費: 1,000円 (小ペットボトルの飲み物を用意いたします。)

講  師: 池田裕子(いけだゆうこ)氏

1980年:関西学院大学商部卒業後、学校法人関西学院に就職

理学部、総務部システム課、大学図書館閲覧課、国際交流課、経済学部、   学院史編纂室にて勤務

2023年:関西学院を定年退職

現在:関西日本ラトビア協会常務理事、神戸外国人居留地研究会会員

著書:関西学院のエスプリを追って―カナダ、アメリカ、ラトビアへ

     ベーツ宣教師の挑戦と応戦(共著)、総合研究カナダ(共著)

演 題 :「関西学院の真実:関西学院スピリットの原点を探る」

以上