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<ペーパーバックス・ファン >

サークル「会報」は2001年から書いています。でも作家や小説の好みは人それぞれ違いますから「会報」も相手ごとに気に入って頂けそうなのをと勝手に選んで送っていました。女性には「日の名残り」や「ケン・フォレット」、競馬ファンはもちろん「ディック・フランシス」、クリスチャンとかだと「ペーパーバックと聖書」「ミゼレーレ」といったあんばいに・・で、結局だれに何を送ったんだか分からなくなってしまいました。このサイトに書き込みができるようになる以前、プリントアウトを郵送していた頃の話ですが。
世話役:安部隆雄(昭和34経卒)


"THE HISTORIAN" (Elizabeth Kostova, 2005)

序文「読者へのノート」は幼児期に母を亡くし、父親がアムステルダムを中心に仕事をしていたため米国を離れたが、優秀な家庭教師や家政婦に恵まれて育ったこと、1972年16才の時に父の書斎で見つけた古い手紙があって・・50才を過ぎたいま、自分は英国オックスフォード大学で歴史を教えている・・と、地味な私小説風の書き出しです。しかし、よく見るとこの序文の日付は2008年1月15日で本の出版より3年も先になっています。つまり序文は作家自身のことでなく、小説の女主人公の独白でした。つまりフィクションはもう始まっていたのです。

作者のエリザベス・コストバ(本名ジョンソン)は1964年コネチカット州ニューロンドン生まれですから小説の主人公より8才年下です。エール大学卒業後ミシガン大学で美術史修士号(MFA)を取得といった程度の経歴しかネットにはのっていませんでした。彼女はこの小説を書き上げるのに10年の歳月を費やしていますが、アムステルダムからイスタンブールまで歴史を背景に読者を案内してくれる作品です。ミステリと紀行文(travelogue)を組み合わせた設定というのは、古くはギャビン・ライアル「ミッドナイト・プラス・ワン」(1965年)などそれほど珍しい趣向ではありませんが、古典的なドラキュラ伝説を絡ませた切り口が独創的です。主人公は親子二代にわたるヨーロッパ史専門家という設定なので、ドラキュラ伝説へのかかわり方も興味本位でない重層的なコンセプトが土台になっています。冒頭の「読者へのノート」にもつぎのような歴史観が吐露されていました。

It is not only reaching back that endangers us; sometimes history itself reaches inexorably forward for us with its shadowy claw.

状況は違いますがニーチェの有名な言葉と表現の仕方がそっくりなので、思わずメモってしまったのでした。
When you look long into the abyss, the abyss also looks into you.  (Nietzsche)

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ジョン・ル・カレ “Tinker, Tailor, Soldier, Spy”

“Tinker, Tailor, Soldier, Spy” (1974)と後続 “The Honourable Schoolboy” (1977), “Smiley’s People” (1980) の三部作はル・カレの傑作です。BBCで映像化されアレック・ギネスが演ずる主人公ジョージ・スマイリーがぴったりのはまり役でした。三部作最初の小説のタイトル Tinker, Tailor, Soldier …. という言葉は、われわれには馴染みが薄い知れませんが、英語圏ではごくふつう・・というか幼い頃の懐かしい響きをもった言葉のようです。

女の子が地面に大きな幾何学模様の図を描いて、平らな石やガラス玉を投げ入れ片足でケンケン・パッ!石蹴り遊びですか? 英語では hopscotch といいますが・・その時に口ずさんでいるわらべ歌 (children’s rhyme) が “Tinker, Tailor, Soldier, Sailor …” という言葉遊びです。これはもともと中世からあったもので、一般人には学校もない頃でしたから、小さな子供が大人の職業などを覚えるための歌でした。Tinker, Tailor, Soldier, Sailor は「鋳掛け屋」「仕立て屋」「兵隊」「船乗り」ですね、そしてその後に続くのが “Richman, Poorman, Beggarman, Thief.” です。石蹴りの子供たちは節をつけて “Tinker, Tailor, Soldier, Sailor. Richman, Poorman, Beggarman, Thief!” と歌いながら跳んだのでした、「ケンケン、パッ。ケンケン、パッ」といったぐあいに。

道端で歌いながら遊んでいる子供達をぼんやり見ていたジョージ・スマイリーが、その時はっと思いあたるシーンが出てくるのでしたが・・小説のタイトルはわらべ歌前半の最後の言葉 Sailor を Spy に置き換えたのでした。ちょっとした語呂合わせのタイトルですが、何ともいえない雰囲気がでていませんか?
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ミゼレーレ

バチカン・システィーナ礼拝堂の聖歌「ミゼレーレ」(Gregorio Allegri) が100年以上門外不出の秘曲だったのを、14才のモーツァルトが一度聴いただけで9声合唱曲の楽譜を起こしたというのは有名なエピソードですが、旧約聖書の詩編第51章(ラテン語聖書では第50章)は Miserereと呼ばれ広く知られています。"Miserere, mei, Deus"(主よ憐れみ給え)の祈りで始まるのはほかにも第55章と56章があるのですが、特に有名で単に"Miserere"と呼ばれるのがこの第51章です。レント、アドヴェントをはじめ他に定められた行事以外は年間を通じ読まれるほか、埋葬式、会堂定礎式、大司祭の教区訪問時などでも読まれます。しかし一般に有名になったのは神父が重篤な病人を見舞う際には必ず詩編のこの個所が読まれるからです。 ("Miserere, mei, Deus" = "Have mercy on me, O God." = Divine Mercy)

トム・クランシーの小説 "POWER PLAYS- Bio Strike" (2000年作) には次のようなシーンがあります。(カトリックの神父が瀕死の南米ボリビア大統領を病院に見舞う途中、ラテン語の詩編 "Miserere" を復唱しながら急いでいる様子が描かれた個所です。)

"Averte faciem tuam a peccatis meis, et omnes iniquitates meaas dele ..." (Turn away thy face from my sins, and blot out all my iniquities ...)
"Cor mundum crea in me, Deus, et spiritum rectum innova in visceribus meis..." (Create a clean heart in me, oh God, and renew a right spirit within my bowels...)
"Ne proicias me a facie tua, et spiritum sanctum tuum ne auferas a mei," (Cast me not away from thy face, and take not thy holy spirit from me.)
"Libera me de sanguinibus, in Deus." (Deliver me from blood, oh God.)

He climbed the stairs to the hospital entrance with his head still slightly bent and the carabineers on either side of him, sensing their unease as he continued giving whispered utterance to Psalm 50, the Miserere, one of the preliminary invocations for the dying.

神父が暗唱した箇所は詩編51章(ラテン語聖書50章)9節、10節、11節、14節です。

(追記)
会報「ミゼレーレ」を最初に書いたのは2004年でしたが、その時はシスティーナ礼拝堂の秘曲「ミゼレーレ」の作曲者やどんな曲かは実は知らないでいました。モーツァルトが採譜したという逸話はあまりにも有名で、そのまま引用したのでしたが・・曲の詳細はこの会報の本筋ではないので、そのままになっていました。それが2009年9月、新月会の先輩千久嘉和(昭29・経卒)さんから手渡されたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ・クワイア (The Choir of Trinity College, Cambridge) のアルバムに “The Miserere” (Gregorio Allegri) があり、調べたところそれがあの「ミゼレーレ」だと分ったのでした。
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洪水伝説

ノアの箱舟やギルガメッシュの洪水伝説は、紀元前5600年頃に地中海の海水がボスポロス海峡を破り黒海周辺に起こした大洪水に由来するものではないかというのが有力ですが、その年代測定は1997年にコロンビア大学の研究者が出したものです。

ギルガメッシュ (Gilgamesh) が実在の王であれば紀元前2700年代、古代メソポタミア第二王朝とされます。出土した叙事詩の粘土板12枚の内、11枚目に『太古に大洪水があった・・』という記述があり、それがギルガメッシュの洪水伝説と呼ばれています。

太古の洪水伝説としては旧約聖書ノアの箱舟にでてくる大洪水が最も有名です。ただノア (Noah) が実在の人物だったかどうか・・ギルガメッシュほどの傍証もないので、あくまで伝説の域を出ませんが、ノアの時代を旧約聖書の記述などから推測することはできます。それには出エジプト記のモーゼを基準にするのですが、ファラオとしてしか記されていない当時のエジプト王については、諸説ある中で一番有力なラムセス二世(1279-1213BC)説に拠ることにします。そこから聖書の系譜に沿って1500年近く遡ったところがアブラハムの時代です。アブラハムが父親と一族ともにメソポタミアのウル王国を離れカナンの地に向かったのは、ウルに100年近く続いた大旱魃でアッカド王朝が崩壊(紀元前2193年)する少し前だったと考えられます。 この頃エジプト古王朝も同様の異常気象により崩壊しています。(ref. BBC 地球伝説)

旧約聖書の系譜をアブラハムから更にさかのぼりノアに至るのは、単純計算で3500年前後ですので紀元前5700〜5500年頃、つまりボスポロス海峡ができた大洪水の時期と不思議に一致します。

クライブ・カスラーの小説 “Plague Ship” (2008) にもこの説が紹介されていました。ボスポロス海峡を破って地中海から流れ込んだ海水は1年半近くかけて水位を上げ、現在の黒海を作ったのですが、水位上昇が止まらないのを見た沿岸住民の一部が巨大な箱舟を作り地中海へ脱出する時間的余裕は十分あったというものです。

なお黒海周辺の大洪水が、どうして遠くメソポタミアにまで伝わったのかという点について、クライブ・カスラーは紀元前3200年頃の出現とされるメソポタミアの楔形文字の原形が、さらに古い時代に黒海周辺から伝わったのではないかという仮説を引いています。(下記引用には省略)

“You may not know this, but the epic story of Gilgamesh, which was translated from cuneiform by an English amateur in the nineteenth century, chronicles a flood scenario a thousand years before it appeared in Hebrew texts. Many cultures around the globe also have flood myths as part of their ancient traditions. Anthropologists believe that because human civilization sprang up in coastal areas or along rivers, the very real threat of catastrophic flooding was used by kings and priests in cautionary tales to keep people in line.” “In fifty-five hundred B.C. the southern dike at what is now the Bosporus collapsed and flooded what had been, up until that time, an inland sea that was some five hundred feet lower than the Mediterranean. We now call this area the Black Sea. It took more than a year for the basin to fill, and they estimate the falls at the Bosporus would make Niagara look like a babbling brook. This has only been confirmed in the last few years.”
(Clive Cussler “Plague Ship” 2008)

(注)旧約聖書はそのほとんどが紀元前6世紀頃に書かれたと言われます。それまでの伝説を文字で書き残した記録ないし信仰告白的な文書なので、正確な年代を知るのには役にたちません。ですが周辺の資料・史実と一致する記述などから幾つかの「点」を推測することはできます。また聖書にあるノアやモーゼの年令も非現実的と斬り捨てるのは簡単ですが、こうした伝説は個人の年令ではなく一族・一派の存続年数を表すこともありますから、そんな風に割り切って計算してみるのもあるかと思います。
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人間は平等? - Inequality

言葉が「ひとり歩き」すると、とんでもない間違いや誤解を生むことがあります。定義などには前提条件があり、条件を変えると成り立たないのが常識です。それなのに前提条件を忘れ身勝手に主張することも少なくありません。「人間は平等」というのもそのひとつではないでしょうか? 法治国家では「法の下に人間は平等」とされますが、それは個々人の生活まで国家が平等を保障するものではありません。個人差から貧富の差まで人間みんな違うのですから。

米国では人口のわずか1.4%の富裕層(年収 $350,000 以上)が所得税の45.2%を納めているというデータがあります。貧富の差がそれだけ大きいとも言えますが、自分の能力、魅力、運などを味方にして成功というのがアメリカン・ドリームで、それを素直に評価し容認することで社会の活力を持続してきたのが米国社会でした。                                                                                                      

個人差には知能(IQ)、体力、集中力、健康、適性、性格、気力、魅力、才能 それに運まで色んな要素が絡んでおり、ただ一つだけ突出しても成功にはなかなか結びつかないものです。これらすべてとまではゆかなくとも、その多くに恵まれた人がはじめて成功に到るのであって、人間はもともと平等には作られていません。多様性があるというのは生物学的に大事な要素ということもあるでしょう、さもないと環境の大きな変化や疫病などで、種(人類)全体が絶滅ということになりかねませんから。歴史上天然痘やペストの大流行時でも一部の人はかからなかったり、かかっても軽くてすんだのでした。

“Unto every one that hath shall be given, and he shall have abundance; but from him that hath not, shall be taken away that which he hath.” (Matthew 25:29)

聖書の言葉は「持てる者にはさらにあり余るほど神は与えられ、持たざる者はさらに容赦なく奪われる。」というのですが、これは The Law of Abundance と呼ばれ有名な個所です。むつかしい神学的解釈が絡むのでうまく説明できませんが、その後につづくキリストのたとえ話から勤勉を説かれたものとされます。(If you want abundance, then work, trade, be industrious, and keep your money busy too. “He that received the five talents went and traded with the same, and made other five.” 注・ここでのtalent はお金の単位です。)

歴史的にも、あり余る才能に恵まれた人間がみな幸せかといえば、英雄・王者になった者もいる反面、逆に支配者の妬みや恨みを買って殺された者も数知れずいました。中世はルネッサンスの万能の天才を含め、社会から突出した人間は異端者として殺されるのを恐れ、世間の目を憚りながら研究を続ける学者が多いくらいで、目立たない凡人のほうがまるで苦労がなく、よほどましといったような時代でした。

“As society becomes more competitive and more meritocratic, income inequality is likely to rise simply as a consequence of the underlying inequality – which is very great – between people that is due to differences in IQ, energy, health, social skills, character, ambitions, physical attractiveness, talent, and luck.”
(Richard Posner, senior lecturer at the University of Chicago Law School )
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民主主義 - A knight on a white horse?

「自由の女神」に象徴される『自由 (liberty) と平等 (equality)』を標榜する民主主義ですが、起源は紀元前4、5世紀古代ギリシャの都市国家にさかのぼるとされます。もっとも似たような原形は古くから世界各地にありました。しかしヨーロッパで広く定着したのは18世紀末ないし19世紀以降のことです。それまでは中世を通じカトリック教会と専制君主による絶対王制でした。フランス革命(1789)を機に王制から近代民主主義に移行したのですが、その歴史はまだ200年程度、日本の民主化は第二次大戦後ですから60年余です。

古代ローマで共和制と王制がくり返されたように、民主主義は社会の構成員同士の利害が対立すると論争が果てしなく続き、あげくには暴力や暗殺に訴えたりと、いわゆる衆愚政治 (Ochlocracy) に陥ります。それでは外部からの侵略、戦争といった緊急時には間に合わず、役に立たないというので権力を集中した王制が支配したのでした。しかし、それも長く続くと階級社会のひずみが原因で革命が起こり・・といったのが歴史の変遷です。しかし、「自由と平等」という高い理念を掲げる民主主義ですが、その実態となると・・

We live in what is called democracy; rule by the majority of the people. A fine ideal if it could be made to work. The people elect, but the party machines nominate, and the party machines to be effective must spend a great deal of money.
(たしか・・トム・クランシー “Op-Center” シリーズにあった記述です。)

また次の言葉も民主政治の現実を痛烈に批判しています。
Politics is the art of getting votes from the poor and campaign funds from the rich, and promising to protect each from the other.    (Thomas L. Stevens)

こうした現実の民主主義に否定的なのは旧共産圏やビルマ(ミャンマー)などに限りません。厳格なイスラムの一部 (Takfir) がその急先鋒で「民主主義は神の掟を無視し、人間が勝手に作ったルールで、神を冒涜するものである。」と言っています。

Takfir: A concept developed by Islamists in Egypt in the 1970s, a theological sleight of hand designated to give the terrorists a sacred license to kill almost anyone they pleased in order to achieve their goals of imposing sharia and restoring the Calipate. Its primary target was other Muslims. A secular Muslim leader who did not rule by sharia (Islamic law) could be killed under takfir for having turned away from Islam. So could a Muslim residing in a Western democracy. To the takfiri, democracy was a heresy, for it supplanted the laws of God with the laws of man; therefore, Muslim citizens of a democracy were apostates and could be put to the sword. It was the concept of takfir that gave Osama bin Laden the right to fly airplanes into buildings or blow up embassies in Africa, even if many of his victims were Muslims. It gave the Sunni terrorists of Iraq the right to kill anyone they wanted in order to prevent democracy from taking root in Baghdad. (Daniel Silva “The Secret Servant” 2007)

経済のシステムは資本主義に代わるものがないので、修正を重ねながらも続きます。それに対し政治における「民主主義」は経済の資本主義ほどの優位性はないのかも知れません。イスラムをはじめとする批判にとどまらず、実効面でも欧米を除く多くの国では(日本を含め)民主化後も、ひと皮めくれば旧態依然のシステムで動く政治であり、民主主義の理想とはかけ離れた状態ではないでしょうか?

急進的なイスラムを擁護する気は毛頭ありませんが、少し視点をかえればイスラムは中世におけるキリスト教国と同じ時期にあるといえます。イスラムはキリスト教に遅れること600年余マホメッドが広めたのですが、キリスト教社会の時計を600年巻戻した15世紀のヨーロッパは、東ローマ帝国が滅亡を迎える頃です。カトリック、東方正教の権威が絶対で政教一致の時代でした。スペインではレコンキスタが終わり恐怖の異端排斥、宗教裁判 (Spanish Inquisition) が始まります。十字軍、魔女裁判などで何百万、何千万人もの血が流された中世のキリスト教社会と現代のイスラム過激派にどれほどの違いがあるのでしょう? 

いたずらに神の掟をふりかざし、異端排斥の大義名分で破壊・殺傷に走る愚行をとどめる知恵と勇気が、もはや人間にはないのでしょうか? 過激派の裏には想像を絶する貧困に圧迫された救いのない無数の人々がいるのですが、光はそこへとどきません。


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